2021-05-18 第204回国会 参議院 外交防衛委員会 第12号
中世の時代におきましても、十一世紀の末の十字軍の時代から二百年近くキリスト教、そしてまたイスラム教の対立が続くと。その間一番長い停戦だったのが、一一九二年、第三次十字軍のリチャード一世と当時のイスラムの雄でありましたサラディンの間の二十六年の講和ということになるわけでありますけど、なかなか、失礼、済みません、短くします。
中世の時代におきましても、十一世紀の末の十字軍の時代から二百年近くキリスト教、そしてまたイスラム教の対立が続くと。その間一番長い停戦だったのが、一一九二年、第三次十字軍のリチャード一世と当時のイスラムの雄でありましたサラディンの間の二十六年の講和ということになるわけでありますけど、なかなか、失礼、済みません、短くします。
ただ、今回御審議いただいておりますジョージアにつきましても、ここは黒海に面して、アジアと欧州を結ぶ要路に位置しておりますし、かつて、中世の時代においても、例えば十字軍の時代、この花の十字軍と言われた第三次十字軍のとき、ヨーロッパ側、英国のリチャード一世は地中海を通ってエルサレムを目指したわけでありますけれども、一方で、神聖ローマ帝国、今のドイツですけれども、ここのフリードリッヒ二世は黒海、このジョージア
もう何か十字軍以来の伝統があって、物すごくボランティア組織がしっかりしていて、そのボランティア団体が救援にもすぐ駆けつける。 私、驚いたのは、防災省があるんですね。市民保護省という名前なんですけれども、一つの省があって、立派な建物に七百人職員がいて。
遡れば十字軍の時代だって、いろんな形であの地域においては紛争というのが起こっているわけであります。 その上で、核合意の話でありますが、我が国として国連安保理決議の有権的解釈を行う、これは安保理でありまして、安保理において本件米国の離脱と安保理決議の関係において一致した見解はないものと承知をしております。
○井上哲士君 まあ十字軍まで言われましたけどね、いろんなことがあったけども、その解決に資したのがイランの核合意じゃないですか。それを一方的に破ったと、明らかにこれは今回の事態の引き金を引いているんですよ。そんな十字軍なんてとんでもないこと言わないでください。 そして、先ほどイランには核合意の遵守を求めていると言われました、イランに対しては。
切った起点によってどちらが始めたかということになりまして、第一次十字軍の時代から始めればヨーロッパ側がやった、こういうことも起こってくるわけでありますけれども、いずれにしても、中東情勢が深刻の度を増していることを強く懸念をいたしております。
聖地のある、メッカ、メディナがあるところに、よりによって十字軍の、キリスト教徒の軍隊が入るとは何事だと、それをサウジ政府も許したわけでして、けしからぬと、そういうことからこのいさかいが始まったわけで、それが九・一一とつながるわけで、ですから、一時いいといっても、いつそういった要素が出てひっくり返るかも分からないということが歴史の常だと思います。
日本は昔はそれほど力がなかったからもちろん目立たなかったということがありますけれども、多くの人にとって日本は今や一体となって、十字軍といいますか何といいますか、そういうものと動くぞというふうに認識をされてしまっている。
昨日の衆議院の質疑もそうだったんだろうと思うんですが、その性格の変化によって、あるいは日本の、先ほど大橋さんがおっしゃったように、場合によっては十字軍的な支援も入っているというふうに見られているがゆえに危険度が増している。つまり、PKOの任務、そして日本のイメージが変わっていることによって、自衛隊、PKOがいるところとNPOの方がいらっしゃるところの日本の危険性がどういうふうに捉えられているか。
例えて言えば、十字軍の遠征、あるいはフランス革命のギロチン台の処刑、ロシア革命におけるスターリンの粛清、あるいはカンボジアのポル・ポト政権の大量虐殺、中国の文化大革命、数えたら限りがない、そういう歴史があります。 政治の世界でそれをどう乗り越えるのかということになるわけでありますが、私は、理想主義と現実主義は対立概念ではないという基本的な考え方を持っております。
ですから、そして、あのときも申し上げましたけれども、米軍の友軍として世界に展開することは、ある意味では、九百年の背景のある十字軍戦争のようなものがいまだに続いているわけですから、言わば我々が志願してキリスト教の二軍になりに行くわけでありまして、きちょうめんなイスラム原理主義者の反撃を食らう危険について、私はそれを受ける理由がない、つまり、お金を使って危険を招く、全く意味がないといまだに思っております
ところが、今回のISの声明は、日本は進んで十字軍に参加したと述べた上で、殺害後の声明では、おまえの国民を場所を問わずに殺りくすると、こういうことまで書きました。 もちろん、このISがこれまでの武装勢力と比べても極めて残虐でありますし、様々なこうかつな広報を行っていることは見なくちゃいけません。
それが、八次の十字軍を経て、一三〇九年にアビニョンの捕囚、全く違った状況が生まれる。この間には二百年かかっているんですね。 それから見ると、今の時代の変化は極めて速いと私は思っております。
○井坂委員 十字軍の話から入りましたので、なかなか壮大なお話になるかなと思ったわけですが、御答弁の中で、やはり、全政府機関が同じシンプルな方針のもとにやっていくんだとイギリスがやったという話は、これは私はとても大事なポイントだというふうに考えております。
十字軍、第一回から第八回まで行われますが、第三次の十字軍を率いましたリチャード一世、獅子心王と呼ばれたわけでありますけれども、小さな軍でありながら、当時のイスラムのサラディンの大軍を破る、こういったところもやはりイギリス人のスピリットなのかな、こんなふうに私は感じたりもいたします。
「あなた方は全世界で十字軍の攻撃に直面をしている」と。「ソマリアのムジャヒディン」、イスラム戦士ですね、「の勝利は極めて重要だ」ということを言って、このアハメド政権ですか、ソマリアの暫定連邦政府の大統領ですが、この打倒を訴えているんですね。
かつて草刈り十字軍というのをやった富山県ですので、森林施業についてのボランティアについては極めて意識が高いので、今のところ熱心に取り組んでいるところです。
ですから、このような言葉を使ったわけで、一般的教養というのは、例えば、もうこれは日本人にはそういう意識は非常に少ないですけれども、イラクがなぜあんな状態になっているのかとか、イスラム世界やキリスト教世界では比較的自殺については自己抑制的なあれがあるのはどうしてなんだとか、十字軍というものが何でああいう形で出てきたのか、それによって今アラブの人たちのヨーロッパ文化に対する感じはどうなのか。
大体、フランス人にやられたとかイギリス人にやられたとかアメリカ人に何とかとかいって、そういう白人に対してはちょっと非常に難しい感情が、十字軍にさかのぼっていろいろ出てくるところなんですけれども、いわゆる東洋人というのは全く縁がないし見たこともないしというところであります。
もともとは、今、十字軍のお話もございましたけれども、イギリスの裁判所の中で確立したわけでありまして、しっかりした権利が余りに窮屈になりましたので、エクイティーコート、衡平法と呼んでおりますけれども、そういう例外的にもう少し柔軟な解決を図ろうということを目指した裁判所によって確立してきた制度だと言われております。
信託というのは、その歴史は、十一—十三世紀、ヨーロッパで十字軍の遠征が行われていたころに、遠征する将兵たちが家族のために土地を第三者に信託するというところからこの制度が始まったというのが由来のようです。日本では、明治時代の中ごろに、資本主義経済の発展に伴ってこの制度が輸入されてくる。
さらに、十字軍の遠征に際して、参加した兵士が国に残した家族のために自分の財産を信頼できる人に信託したということから広がったと聞いております。 このように、信託される人、すなわち受託者が信頼されるに足る者であるということは信託制度の基本的な要件であります。
これは、ヨーロッパにおいても長い長い、これはもう、そもそもキリスト教が背景にあって、病院とかホスピスケアのシステムが中世からできてくるわけですので、ホスピスケアというのは、十字軍のケアをしたセンターがあったわけですけれども、ホスピタルとかホスピスという言葉自体がこれは歴史の古い言葉ですけれども、いわば宗教的なそういう背景があってバイオエシックスが出てきた。
そこにキリスト教徒の米軍が駐留すること自体が、イスラムの人たちにとってみましたら、十一世紀から十三世紀の十字軍の再来というふうに考えるぐらい、非常に大きな、重きがあることですね。実行犯も十五人がサウジアラビア人だったというふうに考えております。